
テーマは「ときめき夢ライブ」聖子ちゃんの「瑠璃色の地球」一青窈の「ハナミズキ」などときめく歌、ジャズ、オリジナルと盛りだくさんをピアノの弾き語りで行った60分の音楽の旅。。
令和最初のライブをここで行えたことに感謝です

思い返せば、「平成」という時代は私にとって激動の時代でした。
平成の発表は、バンドのメンバーとお蕎麦屋さんで聞きました。
その後、バンドのメンバーと結婚。そして出産。年子で双子

毎日9人分の食事の支度(その頃旦那の兄弟も一緒に暮らしてました)と3人の育児に追われ「女は自分を犠牲にしても夫、子供に尽くすもの」という時代錯誤の価値観にがんじがらめになり、もがく日々。。
段々自分というものがわからなくなり、独身時代に行っていたピアノ講師に復帰する準備として月に一度東京にレッスンに通おうとしても「そんな勝手なことをされては困る、今は子供でしょ?!」と猛反発。
モーレツな怒りが私を突き動かしました。
レッスンに通えないならば、家でできること…「そうだ、曲を創ろう!」
私はこのままでは終わらない! そしてこの気持ちをごまかさない!
この怒りを絶対に生産的なもの、自分を幸せにする方向に変えてみせる!と強く思いました。
人は「怒り」というものにあまり良いイメージを持っていません(特に日本人のように『秘するが花』のような文化の国は)でも、私は怒りというのは感情の中で最もみずみずしい、人間らしい感情だと今は思っています。
人は理不尽な目にあったり、尊厳を傷つけられたら当然怒ります。
心の底からの怒りは自分自身の心の叫びなので、それは本当にみずみずしい感情だと思います。
日頃隠れて気が付かなかった本来の自分、というものが見えてきます。
それが創作の原動力になるのです。
もちろん怒りを怒りとして表現するのでなく、それを認めた上で、「でも私はこうありたい!」という想いを曲にする。
自分と向き合わずに楽なところで幸せそうに歌っていても、たとえどんなに上手であっても人の心には響かない。
辛いけれども醜い自分と向き合った上で、「ただただこうありたい!」を曲にして自主企画ライブで発信し始めました。
ご縁が繋がり、段々お仕事として依頼がくるように…。
時は流れ、子供達も大学生になると旦那の両親も私の活動を認めてくれる様になり、今では「お仕事頑張ってね!」と送り出してくれる様になり、時にはライブにも来てくれるようになりました。
子供も巣立った今ならあの時「今は子供でしょ!」の気持ちもわかるようになりましたね。
30代のあの時、全力で反対してくれなければ、今の活動どころかそもそも「曲を創る」という発想自体なかったと思うと旦那の両親に感謝です。

そして私の今の活動はオファーを下さるホテルあってこそです。
私を受け入れてオファーを下さるホテルには本当に感謝の気持ちでいっぱいです

全力でお返しをしたいと思っております。
そして…今や娘や息子達が、私があのお蕎麦屋さんで平成の発表を聞いた、まさにそのお年頃。。
個々のアイデンティティーを大切に、あまり情報に振り回されずに自分の価値観でいきいきと、そして逞しく生き抜いて欲しいと切に願います。
令和の時代がどなたにとっても平和で素晴らしく、輝いた時代であります様に…。